2015年01月31日

初めての短編小説

「先生」
 ガラン、と静まり返った校舎の奥、音楽室の中央に彼はいた。一心不乱に指を動かす姿はあの時と変わらない。愛美はあの、強いまなざしと、力強い音が好きだった。ピアノを習っていたけれど、上手く出来なくて、いつも、いつも、先生に怒られてばかりだった愛美があの時逃げ出さずにピアノと向き合う事が出来たのは彼の、西園寺樹先生のお蔭だった。ピアノの前で躊躇していた愛美に「楽しむこと」を教えてくれたのも彼だった。彼がいたから、誰にも頼ることが出来なくて、まるで一人ぼっちのようにも感じていたあの時を耐え抜くことが出来た。
 たった一人の家族だった母を突然殺され、ふさぎ込んでいた愛美を周囲の人間は腫物のように扱い、同情した。だが、彼が愛美に同情の眼差しを向ける事はなかった。彼の視線はいつも通り穏やかで、愛美はあのまなざしにずっと救われてきた。
 今ならわかる。彼のそれは、優しさなんかではなく、本当に、切実に愛美に興味がなかっただけなのだ。愛美に限らず、全ての人間が樹にとってはどうでもよいモノだった。それでも、あのころの愛美が生きてこれたのは、そして、今の愛美がいるのは彼のお蔭だった。
 愛美は高校卒業後、警察学校へ行き、捜査一課の刑事になった。未だに捕まらない、母を殺した犯罪者を見つけたかった。なぜ、母だったのか、と聞いてみたかった。警察官になって5年、ようやく見つけた犯人は予想外の人間だった。なぜ、どうして、そんな言葉が喉の奥に張り付いて、音となって出てくれない。愛美は、こんなことのために警察官になったのではなかった。
「君は……?」
 樹はまっすぐと愛美に視線を向けたが、その視線はすぐにそらされた。軽く首を傾げ考えるそぶりを見せた彼が愛美を思い出すか、しばらく待ってみたが彼は一向に思い出すそぶりを見せない。まるで彼にとって愛美が何でもない、どうでもよい存在であるかのようにも見える。
「先生……佐久間愛美です。……昔、この学校にいました」
 告げた言葉にも樹は不思議そうな表情を崩さない。彼にとって愛美は、それだけどうでもいい人間だったのだろう。
「佐久間……翠の、子です」
 再び告げた言葉、樹は小さく首を傾げ、ゆっくりと笑みを浮かべた。それは本当に嬉しそうで、幸せそうな表情だった。母の事が分かったのか、と思った愛美の期待は直後に粉々に打ち砕かれる。
「それで、何か用かな?」
 あの時と変わらない声、口調。きっと彼の表情はこれから先も変わることがないのだろう。表情を変えるほどの衝撃は何があっても現れない。
「……先生に、逮捕状が出ました」
 警察手帳といっしょに握りしめていた一枚の紙を見た樹は、それでも表情を変えない。
 本来ならば逮捕に女性警官一人が来ることはない。これは愛美の完全な我儘から来ていた。愛美が探した証拠、犯人なのだから、彼女自身に捕まえさせてほしい、と口にした時、上司は呆れたようにため息をついた。
「次の日曜、F1のレースがある。付き合えよ」
 ニヤリ、と笑った上司のその言葉が、本来ならばルール違反の今の状況を容認してくれた。
 警察組織はルールにうるさい。だからこそ、失敗は許されない。
「容疑は?」
 樹はゆったりと腰かけたまま、視線だけを愛美に向けている。その様子はまるで人形のようだな、と思った。なぜ、あのころの愛美はこんな男に心を奪われたのだろう。今考えると不思議でならない。
「強盗殺人の容疑です。……6年前の強盗殺人」
 覆面をかぶった男の事を愛美は今でも覚えている。愛美の目の前で母を殺した犯人は、愛美に一瞥をくれる事さえなく、側にあった財布を手にして出て行った。あの日、人1人を殺した男が奪ったのは、ほんの数万円が入った財布1つだけだ。カバンに入っていた通帳や判子には興味さえ示さなかった。
「今更、よくわかったね」
 その口調はまるで、教師が生徒の回答をほめるような雰囲気で、今の、この状態でそんな風に口にできる彼に愛美はぞっとした。
「何で……?」
「退屈だったから、かな」
 そう口にした男の言葉に愛美の中にあった強がりな思いは粉々に砕けきった。目の前が真っ赤に染まる。なぜ、なぜ、何もしていない母が殺されなければならないのか、そんな、退屈というたった二文字のために……。
「ゆるさない……」
 小さくつぶやいた愛美の言葉。だが、それは直後に感じた強い衝撃で最後まで口にすることはできなかった。
「なぜ、止めたんだ?」
 不思議そうな口調の男の言葉を最後に愛美の意識は闇へと沈んでいく。
 ゆるさない、ゆるさない、そんな強い思いだけを残して。



初めて書いた短編小説……。しかも、行き当たりばったり。もやは何を書きたいのかが、自分でもわからない……。やっぱり、短編は向かないかも。




Posted by sakura at 22:51 │短編小説